最近、パワハラやセクハラの報道が多いですね。
パワハラの事件で、時々耳にするのは「自分たちもそうされてきた」「よかれと思ってやった」「そういうつもりではなかった」というような弁解です。
本人からすればそれが本心なのだと思いますが、そういう弁解は全く通用しません。
パワハラになるかは、両者の関係性と行われた行為の内容で決まります。行った人がどう思っていたかは重要ではありません。
厚生労働省は以下の行為をパワハラの典型例として示しています。
1.暴行・傷害(身体的な攻撃)
2.脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言(精神的な攻撃)
3.隔離・仲間外し・無視(人間関係からの切り離し)
4.業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害(過大な要求)
5.業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと(過小な要求)
6.私的なことに過度に立ち入ること(個の侵害)
これらに該当するような行為をすれば、どんなつもりでやっても(指導のつもりでも、愛のムチのつもりでも、何でも)パワハラと言われうるわけです。
列挙されると、当たり前のように感じますが、あり得ないと思われる上記1であってもスポーツ界では指導の一環のように暴力が使われてきました。
上記2にしても、厳しく指導しているつもりがこれにあたることはあり得ます。特に、これまで厳しく育てられ、指導されてきた、私も含めた昭和世代は要注意です。「自分がされていた」「それくらいしないとわからない」というのも、理由にならないことを肝に銘じておくべきです。
セクハラもそうですね。
時々、「いい男がすれば問題とならないのに」とか「相手が嫌と思えばセクハラになるのは納得できない」などと耳にしますが、これもかなりずれています。
セクハラとされるか否かは、「平均的な女性(男性)労働者の感じ方」を基準として判断されるので、そういうことをしたら普通相手が嫌がるような行為かどうかということが問題なのです。
決して「いい男ではないから」セクハラになるわけではありませんし、「相手が嫌だ」と思ってしまえば何でもセクハラになるわけでもありません。
気を付けるべきは、こういうことをしたら普通相手が嫌がるかどうかであり、重要なのはそれをきちんと理解することができる想像力だろうと思います。
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(波多江)